前回の記事ではロヒンギャ族の悲惨な実情について紹介しました。
この度は、その原因を探るべく歴史的な背景を紹介したいと思いますが、驚くべきことにこの問題には日本も無関係ではありませんでした!
一体どういうことでしょうか?
ロヒンギャとは?
出典;afpbb.com
ロヒンギャとは、ビルマ(ミャンマー連邦共和国)のラカイン州北西部に住むイスラム系少数民族のことをいい、約130万人程いると言われています。
言語はバングラデッシュで話されるベンガル語の方言を使用しており、ミャンマーの公用語であるビルマ語は使いません。
出典;朝日新聞デジタル
ラカイン州はビルマ西岸部に位置し、その北西部はナーフ河をはさんで隣国バングラデシュと国境を接しています。
さて、このラカイン州北西部に住むロヒンギャの方々。
実際彼らがロヒンギャという名を用いるのは1950年以降と言われており、長い歴史からみればごく最近のことのようにも見えます。
どういうことなのでしょうか?
ロヒンギャクロニクル
ロヒンギャはどういった歴史をたどってきたのでしょうか?
イメージをもとに追ってみることにしましょう。
ロヒンギャの起源は、15世紀前半~18世紀後半まで存在したアラカン王国に由来するようです。
ロヒンギャの名前は、アラカン王国の王都の名前に由来しますが、実際にロヒンギャの名前が出てくるのはずっと先になります。
当時もイスラム教徒と仏教徒が混在していましたが、今とは異なり、お互いが衝突なく暮らすことができていたようです。
この後に何が起こったのでしょうか?
1785年が一つのターニングポイントになりました。
アラカン王国がビルマ王国の侵略によって滅びてしまいます。
そしてビルマ王国は自民族で国を統一するため、ほかの民族を追い出す政策をとります。
ビルマは仏教王朝のため、イスラム教徒は排斥の対象になりました。
イスラム教徒はベンガル側(現バングラデッシュ)に逃げざるを得なくなったわけです。
だんだんきな臭くなってきましたね。。
長く続くかと思っていたビルマ王国ですが、突然崩壊することになります。
当時の世界強国であるイギリスが、植民地拡大のためにビルマへ侵略を開始したのです。
1824年~1886年にかけての3回の戦争で、ビルマ国はイギリスの植民地になってしまいました。
これを契機に、ベンガル側から大量のイスラム教徒がラカイン州に戻り、彼らは数世代を経てこの地に住むこととなりました。
イギリスの植民地時代は、戻って来たイスラム教徒と土着の仏教徒の対立が水面下で高まる期間でした。
実際に対立が表面化されるのは、この後ですが、お互いの軋轢が徐々に強まっていったこの期間は、何かのトリガーを待っていたのかもしれません。
そして、、
1942年、第二次世界大戦のさなか、日本軍は大東亜共栄圏の構築を完遂すべく、ビルマに侵略します。
ここで日本が関係するのですね!
日本軍はイギリス軍を打ち破り、ビルマの占拠に成功します。
そして、西部のラカイン州の占拠も目指しますが、このときのやり方がよくありませんでした。
土着の仏教徒に武器を与え、彼らにオペレーションを実行させたのです。
一方、イギリス側も抵抗のため、一つの措置をとります。
ラカイン州のイスラム教徒に武器を与え、彼らを抵抗に加わらせたのです。
、、、後は、説明するまでもありませんね。
日英の代理戦争でしたが、、その実お互いの宗教勢力が激しくぶつかり合う、宗教戦争となりました。
こうなると、関係の修復が困難になってしまいました。。。
第二次世界大戦後、ビルマは再び独立を果たします。
しかしながら大戦中に生じた両社の禍根は、終了後も消えることなく残っています。
ラカイン州のイスラム教徒がロヒンギャを名乗るのはこの時で、1950年頃と言われています。
ロヒンギャの誕生には、過酷な経緯があったのですね。。
1962年にビルマでは軍が政権を握るようになります。
この時の軍の政策により、ビルマ人(土着の仏教徒)が優遇され、ロヒンギャ等の少数民族が排斥されるようになります。
1990年代には約25万人のロヒンギャがバングラデッシュに移住する事態も発生しています。
ロヒンギャの方々にとっては受難の時代が続くのでした。
そして現在、、
ビルマはミャンマーに姿を変え、2012年には民主化され軍による独裁政権から解放されました。
しかしながら、今現在に至ってロヒンギャへの迫害を止まらず、部落焼き討ちや無差別な襲撃など、ジェノサイドの様相を呈している状況です。
事実上の最高権力者であるアウンサンスーチーへの期待が国際的にも高まっている中で、どのように収束させるかが問われています。
おわりに
今回はロヒンギャのルーツをたどりました。
想像以上に問題が根深く、言葉や人種、宗教といった複合的な要素で問題が生じていることが分かりますね。
また、過去のこととはいえ日本も少なからず関係していますので、理解を深めておきたい問題であるかもしれませんね。
いずれにしても、、争いの無くなる日が来ることを信じたいですね。